蕎麦好きの独り言(2014.11.14up)

その壱壱、「男の使命」


諸星 弾

先日隣町に日帰り温泉施設が開業した。オープンから暫くは通常芋洗い状態が続くので躊躇していたのだが先日初めて行ってみた。
新しいだけあって中はとても綺麗で随所に工夫の跡が見られ好感を持った。また泉質も好みに合っていて今後通うことも多くなると思う。

筆者の通常の入浴手順は、なにはともあれまず露天風呂に浸かる。そこで十分体を温めてからすかさずサウナに飛び込み一気に汗を出す。そして締めの水風呂に飛び込み潜水状態で30秒ほど、後は外に飛び出し椅子があればそこで暫くうたた寝をする。体が冷えてきたら最初から同じ手順を繰り返すのだ。

でも一つだけ残念な事があった。何かと言えば水風呂が狭いのだ。深さは95p有り潜水するにはもってこいなのだが、いかんせん大人一人入るのがやっとで、混んだ時などは渋滞が予想される。この時も入ろうとしたら小学生の兄弟が先にいて、冷たいからか、もじもじと逡巡していた。

「あんちゃだや、へっどぎは、ずごっと、あだままんでいがねばのぉ、だみだおんだ!」※1
と催促したら覚悟を決めたようで、二人で首までエイヤッと浸かりすぐに飛び出していった。
その後すぐに筆者も潜水30秒して外に出たのだが、先程の兄弟の会話が耳に飛び込んできた。

兄:「水風呂は男の使命だから・・・」

弟:「男の使命(語尾上がる)?・・・」

う〜む・・・
粋で生意気な坊主どもだ。


改めて、
珍しく重い話題で恐縮だが、「使命」や「使命感」なんて言葉を使う機会があるだろうか考えてみたが、使った記憶どころか単語自体忘れていたのが正直なところである。
そんなわけで子供達の会話が凄く新鮮に耳に飛び込んできたのだが、試しに辞書を引いてみると、

 与えられた重大な務め。
 責任をもって果たさなければならない任務。
 自分に課せられた任務を果たそうとする気概。

なんて書いてあった。

ネットで検索してみると出てくるわ、出てくるわ…
圧倒的に多いのが体験談を通しての営業話(笑)
失敗、絶望、悲観、鬱など、どん底からの生還劇が多いなぁ…

どん底を経験した後の成功者と言われる人達が、幸せという観念の延長線上に「使命」が存在するとした考えは正直あまり好きではない。それは無意識の中にも憐憫に近い感情を感じるからなのだが、どん底でもがいている人(自分も含めて)には、隣の芝生ではないが、他が全て幸せそうに見えるのは仕方のないことだと思う。悲しいことに世の中にはそんな弱味につけ込んで阿漕なことをする輩も多くいるが、妬みのような嫉妬の感情と、羨望や憧れの感情は根本的に違うものと言われているが、状況的にこれらの感情を同時に抱く場面は多いと思う。
一般的に前者は否定され後者が美化されているようだが、自分はどちらの感情を持ったとしても、人間としては自然なことであるように考えている。が、正直そんな自分にも好き嫌いはあって、どちらかと言えば後者の方が嫌いだ。

筆者は脳天気かつ偏屈な性格なので、冗談のつもりの言動を誤解されることは良くある。
物事を深く突き詰めて考えることをもっとも不得意とする性格なので、事ある度に卑屈に笑って誤魔化しているように見えるらしい。
そしてそれをどうしても許容出来ない人もいる。
所謂へらずぐち…(汗)

そんな大風呂敷を広げたような人間が「使命」なんて言った日には誰も信じてくれないし似合わない。
逆にもっと「使命感」を持って事に臨めと叱咤されることの方が多い(笑)
そう、使い方によっては相反する意味を持つ言葉なのだ。


ある人の言葉を引用する。

「使命を生きる人は外から見ると辛い状況にあっても幸せを感じている。それは、正しい道を進んでいる、成長している、と魂が喜んでいるからです。」

どこぞの国の三流政治家を連想するなんてのは偏屈者の証、つくづく素直じゃないなと自己嫌悪に陥るがすぐに忘れてしまうのだ。
そんな偏屈なおっさんだが、幼き日にはウルトラセブンが地球を救う「使命」をもってM78星雲からやってきたことに胸を熱くしていたのだ。
前述の子供達にとっては「使命」なんて大人の入れ知恵でしかないのだろうが、そんな言葉がスッと出てくる大人ってどんな人なのか非常に興味がある。


かつて円谷プロの大人達は、多くの子供達に地球を守るという夢を与える「使命感」を持って仕事をしていたのだろうが、その多くの子供達の中に、家族に美味しい蕎麦を食べさせることが「使命」だと盲信するドアホなおっさんがいたことを知る者はいない。

もし家族が関西人やったら
「われぇ、ケツの穴から手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタゆわしたろか!」
となるかも…


やれやれ…


※1 庄内弁を訳すと 「お兄ちゃん達、水風呂に入る時は一気に頭まで浸からないといけないよ」 となる。